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第6回Twitterカープざっくり草野球 特別編

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2015.11.04 | | 草野球

本塁打の誤審に思う

2015年9月12日 阪神対広島20回戦(甲子園)
2−2で迎えた延長12回の表、広島の攻撃で田中選手が放った大飛球があった。

決定的瞬間!広島・田中 幻弾 ビデオ判定したけど三塁打に…
スポニチアネックス 9月13日(日)5時33分配信より抜粋
▼東利夫・三塁塁審(責任審判) バックスクリーン側からの映像を3回くらい見て、3人で越えていないと判断をした。奥に(忍び返しの)ネットがあるとか、そういうことは分からない。横からの映像があれば、よかったんでしょうが、手元にあるもので判断するしかない。

広島・鈴木球団本部長が“幻の本塁打”判定問い合わせ
デイリースポーツ 9月14日(月)7時1分配信より抜粋
 広島の鈴木清明球団本部長(61)が13日、セ・リーグ連盟に12日の阪神20回戦(甲子園)での審判の判定について、電話で確認を求めたと明らかにした。延長十二回、田中の打球は、左中間フェンスを越えたように見えたが、インプレーの判定。ビデオ判定でも覆らなかった。
 同本部長は、試合後に東責任審判がビデオ判定で外野フェンスのスタンド側上部に進入防止柵があるのを確認できず、存在の認識がなかったと話した点を問題視。「どういう判断でジャッジをしたのか」、「もし審判が柵の存在を知らなかったのなら、それは審判の怠慢。はっきりしてほしいと言った」と2点について確認した。

広島 “幻弾”でセ連盟に怒りの確認要求「事実なら怠慢」
スポニチアネックス 9月14日(月)9時36分配信より抜粋
▼NPB審判部・東利夫クルーチーフ(前日12日の責任審判)(甲子園の)構造は分かっていた。あれ(三塁打の判定)が最終判断なので。

セ・リーグ、「誤審」認め異例の謝罪 甲子園での本塁打めぐり
産経新聞 9月14日(月)14時45分配信より抜粋
 プロ野球セ・リーグは14日、12日に甲子園球場で行われた阪神-広島20回戦で三塁打と判定された飛球が本塁打だったと誤審を認め、謝罪した。判定に対する謝罪は極めて異例。ただし、試合は成立しており記録の訂正は行わない。
 セの杵渕統括はこの日、広島側からの(1)審判団は球場の構造を知っていたのか(2)ビデオ判定でもフェンスを越えていないように見えたのか-とする質問に回答。(1)の構造を認識しており、(2)については「ネットに当たったものと思い込み、まさかフェンス内のワイヤに当たることはないと判断した」と説明した。
 改めて検証した結果、ビデオでも球がフェンスを越えていたことを確認。「今後は先入観なしに検証するよう徹底をはかりたい」とした。
 また日本野球機構の井原事務局長も「再発防止策を鋭意進める。球団、ファンに迷惑をおかけしたことおわび申し上げる」と話した。


関係する記事を幾つか拾ってみた。
1つめの記事と3つめの記事で、同じ人が違う事を言っているように思える点にまず、「何故?」と思う。
忍び返しとかネズミ返しとか書かれているが、あのワイヤーは、下が人が通る通路のために張られていたのではないかと思う。

科学技術の進展の目覚ましい現代、ストライクゾーンや盗塁等は3次元でコンピュータ判定出来るのではないかと思っている私だが、そうするためには例えば選手のユニフォームに胸や膝に信号発信器をつけるとかベース上にセンサーつけるとかいった話になるのかな、そうするとそれらを具備するためのコスト負担の在り方は果たして?とか、不正を防止するためには?等々の課題もあるのだろうと思うのでひとまず、脇に置く。ここでは、現在運用されている「本塁打のビデオ判定」に絞る。

セ・リーグでは1990年、パ・リーグでは1996年から線審が廃止されて久しい。
この経緯は不承知であるが、恐らく合理化であったり人材確保の難しさであったりがその理由であったのだろう。
レギュラーシーズンの試合全てに線審を配置するのが困難であれば、科学技術を使えば良いのになあと思う。科学技術は、合理化に際して最も用いられる手段の1つである。

ビデオ判定は、2007年からの予定が紆余曲折あって2010年から本拠地開催かつ本塁打に限り、両リーグで運用開始された。
素材は当日放映しているテレビ中継のようだが、モニターの大きさや再生機器の精度に関する規定は無さそうである。

「試合は成立しており記録の訂正は行わない」のも、別にそうしなくていいじゃないのと思う。間違いが分かったなら、正しい方に訂正すれば良いのではないかと思う。それをそうしない根本的な理由は無いのではないかと思う。

当該試合をどうするかとは別に、今後の話としては、合理的に取り得る手段の範囲で、ミスジャッジを少なくする方向で改善されて欲しい。
事実を確認し謝罪するというのは勇気の要った事と思うが、再発防止策が講じられて初めて次に繋がるのだと思う。
期限を切って、再演防止策を講じて公表して貰いたい。防止策を検討するためには原因の特定が必要である。果たして、報道にあるように、「思い込み」が原因なのだろうか。そうであれば複数人員でのチェックが考えられるが、「3人とも同じ判断」が事実だったのだとすれば、トリプルチェックは残念ながら機能しなかった訳だから、他の手段を講ずる必要があるのではないか。小さなモニターよりも、各球場に備えられた立派なバックスクリーンに投影すればいい。巨大なモニターであり、手続の透明化にも寄与するではないか(笑)

2015.09.14 | | Comments(0) | Trackback(0) | 日 記

スコアから試合を追ってみた

4月19日(日)の草野球のスコアを頂いてみたので、試合をニヤニヤと振り返ってみた。w

アライメントvsヨコシマ東京C@RP

アライメント  ヨコシマ
1 中堅    遊撃アライマル
2 遊撃    中堅カズアキ
3 捕手    三塁コーイチロー
4 投手    左翼ジャケ
5 左翼    一塁カツ
6 三塁    投手ダイ
7 二塁    二塁ハマ
8 右翼    右翼シン
9 一塁    捕手ドン

1回表
1番三振、1死。2番投ゴロ、2死。3番投ゴロ、チェンジ。 球数17

1回裏
1番投手への内野安打。2番三振、1死1塁。3番の時1走2盗も投ゴロ、2死2塁。
4番、一打先制のチャンスだったが投飛に倒れる。 球数17

2回表
4番三振、5番投ゴロ、6番投ゴロ。 球数10

2回裏
5番三振、6番三振、7番SBFFBSと空三振。3者連続三振。 球数16

3回表
7番三振、1死。8番投失で出塁、1死2塁。9番四球。
打順帰って1番中飛。2番四球、2死1・3塁となるも3番三ゴロでチェンジ。
しかしこの回、捕逸で先制を許す。 球数26

3回裏
8番三振、9番3塁への内野安打、1死1塁。1番左飛。2盗で2死ながら得点圏へ走者進めるも2番三振に倒れる。 球数18

4回表
4番投ゴロ、5番投飛、6番の打球はヒットとも云えそうな3失で出塁、7番投ゴロでチェンジ。 球数14

4回裏
反撃に転ずる。3番フルカウントから四球で出塁。4番投飛、5番三振もこの2打席の間に走者2盗、さらに3盗の際に相手三塁手の失策を誘い本塁を踏み、同点に追いつく。
2死走者無しとなって6番死球で出塁。7番の打席の2球めに相手の捕逸により2死2塁、BBFFから5球め三遊間を抜くコースヒット、適時打で1点勝ち越しするも打者走者2塁走塁死、チェンジ。 球数21

5回表
8番3ゴロ、9番三振で2死走者無しとするも1番左前打、2番死球で1・2塁となる。
3番三振・・・だったが降り逃げを許し、この間2走の生還を許して同点に追いつかれる。
しかし2死3塁で迎えた4番三振にとり、チェンジ。 球数22

5回裏
8番遊ゴロ、9番投飛で2死となるも1番三塁内野安打、さらに3失により進塁し1死2塁、さらに次打者の時3盗。
1死3塁から2番3失により出塁しこの間3走帰って得点、勝ち越し。
2番は2盗・3盗として2死3塁とするも3番投ゴロに倒れる。 球数15

6回表
時間の制約から考えるとこのまま守って逃げ切りたかったが中々。
先頭の5番ファールで粘りフルカウントから四球出塁。次打者の打席で連続盗塁、無死3塁のピンチを迎える。
内野は前進守備を敷いたが6番打者の放ったバウンド高めの打球を2塁手待って捕球し本塁は諦め1塁送球で1死とするもちょっと雰囲気悪い感じ。そりゃそうだよね、土壇場で追いつかれてしまった。
1死取った後は7番三振、8番3ゴロでチェンジ。 球数19

6回裏
3対3の同点で迎えた最終回。
先頭4番内野ゴロだったが懸命に走る!すると途中2塁から守備変更で来た1塁手捕球ミス、セーフ。無死1塁。
走者は代走起用、ディー君。
5番は1球めに死球を受け、無死1・2塁とチャンスが広がった。
6番三振に倒れ1死1・2塁。
ここで打者は回の表で前進守備で本塁へ突っ込まなかった事を少し悔いていた7番。状況的に併殺は避けたい、何とか強い打球を右方向へ転がしたい。相手投手の直球も変化球も素晴らしいが後者は変化が大きくついて行けてない、直球の上半分をアッパー気味に叩き上げるのだと決める。
初球直球、ファールチップ。後ろへ行ったから振り遅れでないと考える事にする。
2球め変化球を見送ってボール、この時2人の走者により重盗が決まる。勇気ある3盗、1死2・3塁。これで併殺は無いと思い込む事にする。
3球め直球、見送る。カウントB1S2と追い込まれた。手が出なかったのだ。打席を外して深呼吸をする。次も直球が来るのではないか。変化球が来たら喰らいつこう、直球が来たら振り抜こうと決める。
4球め。結局直球だったのか変化球だったのか、実は覚えていない。想像した打球は「2塁手の頭上を越える」だったのだが、現実の打球は目の前でボテボテに転がっている。1塁手か2塁手かがダッシュして来るのが見える。ヤバい悪夢かも・・・でもとにかく1塁へ間に合わねば。走る走る走る。走る背中の遠い方で歓声が起こっているのが分かる。球が1塁へ投げられてなさそうな雰囲気も感じる。1塁を走り抜けて振り返ると、3塁ベンチのチームの皆がグラウンドへ駆け出していて、1塁コーチャーのカズアキ君が両手を広げて私の方へ走って来る。打球はショボショボのボテボテだったけど、それが奏功したのだから分からない・・・・サヨナラだ!勝った!!

相手の投手・守備は98球で被安打5四死球2失策2、打撃は19打数1安打3得点。
ヨコシマの投手・守備は、108球で被安打1四死球4失策3、打撃は20打数5安打4得点。

とても良い日曜日になった。公式戦緒戦、獲った!


アライメント 001 011  | 3
ヨコシマ   000 211X | 4

2015.04.23 | | Comments(0) | Trackback(0) | 草野球

第5回Twitterカープざっくり草野球

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2015.02.23 | | 日 記

2013/12/23 神宮草野球大会写真

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2013.12.28 | | 日 記

前田智徳と云う灯火(ともしび)

ネットでは朝から噂が飛び交っていたが、9月27日13時40分頃。前田智徳引退!というニュースが駆け巡り、えっ・・・とボンヤリしている内に、14時から引退会見が開かれた。

<2013.9.27 引退会見にて:質疑は順不同>

前田「すいません、今日は沢山集まって頂いてありがとうございます。今年で24年間の野球人生を終える事になりましたので、ご挨拶させて頂きます」
- 引退を決断し、今の思いは?
前田「言葉は悪いんですが、やっと終わったなという感じです。それから色んな重圧から、そういうものに解放されてホッとしているところです」
- 引退を決断した一番の理由は?
前田「理由はもう・・・。とっくに引き際は過ぎていましたんで、毎年毎年、オーナーと話をさせて頂いて、過去5年に遡って話をさせて頂いて、”代打で違った形で貢献してみたらどうだ?その中で色々勉強する事はあるだろうし”と、そういう事をお話をして頂いて、励まされながら1年1年延びたと云ったらおかしいですけど。延びてここまで来たと。それが今年だったという事になるんじゃないですかね」
- 引退を決めたタイミングは?
前田「骨折して直ぐ色々と現実を受け入れて、自分の中で復帰するプランを立てながら退院して直ぐにリハビリを始めたんです。骨が修復する迄の2か月位の間を計算しながら、逆算してやってきたんですけど、なかなか思うように回復がいかなかった。さすがに今回は無理かなと思い始めたのはこの1か月位ですかね」
- まだやれるのでは?
前田「まぁ、やるからにはチームに貢献したいですし、数字を出さなければ戦う事は出来ないと思ってやっていましたので、結果重視で全ての事に臨んで来たんですけど、内容的にはちょっと褒められた内容ではない。でも、そういう所で使って頂いたので結果重視ということで。 代打に専念してからは、色んな角度から勉強するっていうか。そんな中で代打で貢献できる喜びとか年々感じてきていたので、去年も今年もそこそこの手応えが有ったので、今年は集大成にして、優勝目指してCSに出るという思いでスタートしたんでね、それでここまで来れたので。結果的にまた自分らしくケガで戦列から離れたんですが、チームに貢献できなかった事が残念ですね」
- 現役生活はケガに泣かされた。
前田「あの頃は本当に投げやりになったり、自分の精神状態が乱れていた。嫌になっていたし、どうすればいいか分からない時間を過ごしていた」
- 一番の思い出は?
前田「嬉しい事がかなり掻き消されているので、中々浮かんで来ないですが・・・。プロ入りして2年目の自分が、今のようなCS制度もなかった時に、リーグ優勝をして日本シリーズで第7戦迄行って日本一を逃しましたが、若くしてそういう経験が出来てない人も多い中で、自分はそういうところで野球をやらして貰って経験出来たので。もう一度そういう経験をしたいと思ってやってきたんですけどね。
ですから、今年はAクラスに(なれて良かった)。皆が頑張ってくれて、若手も監督もみんな頑張ってくれて、長く低迷していた時間にピリオドを打ってくれたのは本当に良かったと思う。その中に自分が居なかった事が、本当に残念です。その中に居て、少しでも貢献して、久しぶりのAクラス、という気持ちを味わいたかった。残念ですけど、それが僕の持って生まれたものなんでしょうから、しょうがないですけど」
- プロ野球選手として貫き通した事は?
前田「プロである以上は、結果がやっぱり全てと云うか、結果重視なので、結果を出すためにはどうやって準備をして、どうやって自分を成長させていくか、戦っていくか。全てその為にやって来たので、色んなリスクはありましたけど、結果を出すために色んな日常生活も全てやって来ました。その事に関しては、自分では真っ直ぐにやって来たつもりです。大した結果は出ていないんですが、志は高く持ってそれを全う出来たので、ホッとしています」
- 印象に残っている安打は?
前田「(1990年6月6日の)初安打と、マツダスタジアムで(4月21日に)打った巨人戦のヒット。最初と最後です」
- 若い選手に掛ける言葉は?
前田「彼らの成長とともにチームが優勝争いをして強いカープを作って欲しい」
- 前田選手にとって、野球とは?
前田「難しいですね・・・難し過ぎて、今は上手く表現出来ないです」
- 今後についてはどのように考えていますか?
前田「ユニホームを脱いで、評論家として野球を勉強して、もっともっと・・・、勿論自分を磨いて行きたいですし、野球をまた勉強しながら自分自身を磨いて行きたいと思います」
- 背番号1への思いは?
前田「歴代の先輩に失礼のないようにやって来たが、ケガばかりで似合ってないなと思っていた。(後継者は)ちょっと見当たらない。この背番号は休ませてあげて欲しい」
- ファンへ一言。
前田「もう一度、自分が這い上がって打席に立つ時を待っててくれたと云うか、楽しみにしてくれていた方がいらっしゃったと思うので、ファンの方には本当に申し訳ない気持ちで一杯です。そして、24年間今日迄、こんな故障だらけの選手を最後迄応援してくれて、本当にありがとうございましたという感謝の気持ちで一杯です。 これからは外から野球を勉強して、また自分を磨いて頑張って行きたいと思いますので、また会える日があれば、よろしくお願いします。本当にありがとうございました。



この間、中国新聞の号外だかに小さなベタで「引退試合は10月3日」とあった事から、この日のマツダスタジアムのチケットは見る見る間に完売して行った。
私はボンヤリしていた。本当にボンヤリしていた。悪い夢の様だったが現実であった。しかし思考は停止していた。引退と云えば引退試合と云う思考は働かなかった。つい2日前の水曜夜に、ナゴドで中日を辛くも破ってAクラス行きを決めて「ああ、長かった暗い時代が終わったかも知れない」と喜び、安堵した日の記憶が「前田 引退」に上塗りされていった。

広島東洋カープ・前田智徳。
彼に対して思う事柄は、いつカープファンになったか、彼はその時何を担っていたか、彼のどこに惹かれたか。これは時代によって様々に異なる事と思う。

強かった頃のカープ。FA制度導入以降の弱いカープ。
投手力で貧打をカバーしていた頃のカープ。ビッグレッドマシンの名の下、3点程度はいつでも引っ繰り返せる気がしていた頃のカープ。

前田智徳。
走攻守3拍子揃った新人。3番センター前田。5番ライト(レフト)前田。切り札、代打・前田。孤高の天才。人の引退で必ず泣く男。侍。意外とパフェ好き。ヒーローインタビューを固辞した男。無駄の無い打撃フォーム。バットの軌道のとおり、ライトスタンドへ一直線にツーンと伸びる美しい打球。足をつりながら1塁へ倒れ込む様にヘッドスライディングする男。職人でありそれ故の数々の奇言。クリーンヒットを打っても塁上で首をかしげる男。天才。結果的に晩年であった近頃の、ヒットになれば塁上でガッツポーズで喜ぶ姿を見せる前田。石井琢朗とのキャッチボール。希代の努力家。

<カープの順位(カッコ内は監督)と前田に関する主な出来事)>

1989年 2位(山本浩二)ドラフト4位で指名。
1990年 2位(同上) 背番号51。6月、6番センターで初出場し初安打を放つ。56試合出場、11安打、打率.256。
1991年 1位(同上) 開幕戦でプロ初本塁打を放つ。129試合出場、107安打、打率.271。ゴールデングラブ受賞。
1992年 4位(同上) 背番号31に。打順はこの年途中から2番→3番となる。130全試合出場、152安打、打率.308。刺殺数254・補殺数10は1位。ゴールデングラブ受賞、ベストナイン選出。
1993年 6位(同上) 131全試合出場、158安打、打率.317。刺殺数262で1位。ゴールデングラブ受賞、ベストナイン選出。
1994年 3位(故・三村敏之) 背番号1に。123試合出場、158安打、打率.321。ゴールデングラブ受賞、ベストナイン選出。
1995年 2位(同上) 右足アキレス腱断裂。25試合出場、22安打。
1996年 3位(同上) 105試合出場、124安打、打率.313。
1997年 3位(同上) 100試合出場、116安打、打率.304。カープはこの翌年以降、Bクラスに沈み続ける。
1998年 5位(同上) ライトへコンバート。8月1000安打達成。127試合出場、169安打、打率.335。補殺数12は1位。ベストナイン選出。
1999年 5位(達川晃豊) 108試合出場、118安打、打率.301。
2000年 5位(同上) 当初4番打者を担うも左足アキレス腱悪化し手術。79試合出場、62安打、打率.237。
2001年 4位(山本浩二) 夏から1軍復帰。27試合出場、8安打、打率.296。
2002年 5位(同上) この年途中から5番打者での起用となる。123試合出場、130安打、打率.308。カムバック賞受賞。
2003年 5位(同上) 金本の阪神への移籍に伴いレフトへ。128試合出場、124安打、打率.290。
2004年 5位(同上) 5月1,500安打達成。121試合出場、127安打、打率.312。
2005年 6位(同上) 9月250本塁打達成。146全試合出場、172安打、打率.319。この年の32本塁打はキャリアハイ。守備でも補殺数12は1位、失策0を達成。
2006年 5位(ブラウン) 134試合出場、148安打、打率.314。
2007年 5位(同上) 9月2000安打達成。124試合出場、118安打、打率.285。
2008年 4位(同上) チーム方針により先発から外れる様になる。84試合出場、47安打、打率.270。
2009年 5位(同上) 試合出場無し。10月、緒方の引退試合で花束を渡し、久し振りに泣き虫姿を見せる。
2010年 5位(野村謙二郎) 新監督の下、代打の切札として登用される。68試合出場、17安打、打率.221。
2011年 5位(同上) 52試合出場、11安打、打率.250。
2012年 4位(同上)56試合出場、16安打、打率.327。
2013年 3位(同上)4月23日、神宮でのヤクルト戦8回表に代打で出場した際に江村投手の投じた球を左手首に受け途中交代。左尺骨骨折となり離脱。9月引退表明、10月3日引退試合で8回裏に代打として登場し9回表には2008年以来の守備に就く(ライト)。12試合出場、4安打、打率.364。カープはこの年、16年振りにAクラスとなる。
前田の通算成績は、2188試合出場7008打数2119安打295本塁打1112打点、生涯打率.302。ゴールデングラブ4回受賞、ベストナイン4回選出。



私にとっての前田は、「思う様に生きられない中で、あがくプロ」である。
前田の数々の変なコメントは、別に良いのだ。大抵そこには背景や裏打ちや彼の信念があっての事であり、表面に出て来るコメントは奇異に映る事があっても、こと「仕事」つまり結果で生活を賄う、という観点からはプロフェッショナルならではの発言では無いかと思えるものばかり。

彼ほど結果に拘り、そのための修練や準備に時間と力を割いた人を、私は知らない。
数年前は、本当に引退しようと思ったのだろう。それを覆して代打業になってからの、打席での凄味・・・。
いつ迄も引退しないなんて思って無い訳で、いつか来る引退の最後のとき迄、1つも逃したく無いと思いながら、彼の打席を見ていた。試合前の練習の時は、外野で柔軟をしてから打撃練習で上下左右に打ち分け、その異様な迄に少ないミスショットであったり打球の美しさであったりを、いつ迄も見ていたかった。
だからこそ、引退会見後に1軍登録された、9月29日の東京ドームの試合前練習で、左手首をテーピングして(つまり自由に手首を動かせない)打撃練習に臨み、何本もミスショットして苦笑いを浮かべる、およそ「らしからぬ」前田の姿に、私は鼻の奥がツーンとしてきて、たまらなくなった。

---彼は、私達ファンにその姿を見せるために、全く納得いかない自分の状況であるにも関わらず、来てくれたのだ---



前田は、きっと、律儀な男でもある。2007年の2000本安打。第2次山本浩二時代に嫌気が差した私が、再びカープに関心を高くして戻って来たのは、この頃だった。

<2007.9.1 広島市民球場にて2000本安打達成>
 ※ 中日戦、5番レフトで出場。カープは4-7のビハインドで迎えた7回裏に2点を返すも4打席目の前田4タコとなる。ところが8回裏に代打・嶋が3点本塁打で逆転(9回裏が無くなる)。1死走者無し、3人出塁せねば回らない。ところがここから、1番梵が四球、3番東出が安打、3番アレックスゴロに倒れ2死、しかし4番新井が四球を選び、5打席目の前田に回った。
参照/日めくりプロ野球:前田智徳2千本安打達成

- 放送席そしてスタンドを真っ赤に染めてくれた前田選手ファンの皆さん、お待たせしました、ヒーローインタビューです!今日のヒーローは勿論、2000本安打、見事に達成されました前田智徳選手です!!
- 前田選手、本当に、本当におめでとうございました!
前田「ありがとうございます」
- 今のお気持ち、いかがですか?
前田「いえね、あのう、えー、ね。凄い試合を皆してくれたんで、いやもうその事の方が、ちょっとびっくりしてるんですけど。えー本当にね、ええ。本当にベンチにいる後輩達ね、凄いっすね。ありがとうございます」
- 少し前の事から振り返らせて頂きます。残り3本で地元広島市民球場に戻って来られました。昨日、どんなお気持ちでプレーされていましたか?
前田「そうですね、あのー、その前の試合ね。ノーヒットだったんで。まあ、予定では1本打つ予定だったんですけど。私の責任でね、あのチャンスで打てなくてね。えー本当にね、負けてしまったという事で、ちょっと引きずって来たんですけどね。幸いね、試合が、移動日じゃなく試合があったんでね、もうそのまま試合に入る事が出来たんで、何とか昨日、2本ね。まあ打たして貰ったんですけど。ただね、昨日もね、本当に惜しいゲームだったんで、出来れば昨日も勝ちたかったですね」
- 昨日2本打たれて残り1本。今日、球場に入られる時、報道陣の数、そしてファンの方が沢山いらっしゃいました。物々しい雰囲気の中での球場入りでした。どんな雰囲気で球場に入られましたか?
前田「あの、やっぱり、まあ自分ね。個人の事でね、ここ迄、え~・・・騒がれるって言うか取り上げられるって言うのはね、非常に自分としてはね、残念な事なんでね。ここ迄のね、チームの戦い方考えるとね、非常に悔しい思いばっかりですけど。あのーまあ、その責任をね、非常に自分がね。今シーズン、いいシーズンを送っていないと言う事で責任を感じてます」
- 前田さん、ぐるっと見回してみて下さい。広島市民球場、前田選手の偉業達成、こんなに沢山の方が見つめてくれています!
前田「そうですね、本当に。えー本当ね、あのー怪我をして、チームの・・・足を引っ張って来ましたけど。本当にね、こんな選手をね、応援して頂いてありがとうございます」
- 8回の第5打席は、前田さんは9番目のバッターでした。あそこに並んでいる仲間たちが繋いで繋いで、前田さんに回してくれました。その時、打席に向かう時はどんなお気持ちでしたか?
前田「まあもう、本当にもう今日はね。本当にえー嶋がね、凄い逆転のホームランを打ってくれて、これで勝ったなと思ってね。もう回って来ないと思ってたんですけど、本当にね、皆本当に、東出にね、アレックスに新井にね、もう皆にありがとうございます」
- そして打席に入られて、ライトに鋭い打球が飛んで行きました。その打球を見ながら走っている時、どんな事を思われましたか?
前田「もうね、本当に最高の形で回してくれたんで、もうここでね、打たない訳には行かないと。まあ打てるシチュエーションは出来てるなと、信じて行きました」
- チームメイト皆の力、そしてこの沢山のファンの皆さんの後押し。素晴らしい2000本目になりましたね。
前田「そうですね。あの・・・本当に今日という日をね、もう一生忘れる事はないです。ありがとうございます」
- 思い返してみれば18年、色々な事があったと思います。改めて振り返ってみられていかがですか?
前田「いえもう本当にね、沢山の方に助けて頂いて、沢山の方にね、迷惑を掛けて来たんですけど。自分に出来る事はね、こうやって元気にグラウンドで、精一杯走る事。とにかく走れるようになりたいと言う事で、本当にね、トレーニング、色んな事をね、出来る限りの事はやって来て、精一杯ここまで来る事が出来まして、本当にありがたい、その気持ちだけです。その言葉しか、自分には云えないですけど、本当にありがとうございました」
- 今、前田さんの言葉の中にもありましたが、怪我をされてからこの日を迎えるのは夢の又夢だと仰り続けて来た事が今日現実に変わりました。改めて今のお気持ち聞かせて下さい。
前田「もう本当にね、こういうチャンスをね、与えてくれた球団やスタッフ、選手の皆、裏方の方ね、そして家族。色んな事をね、支えてくれて、えー・・・色んなね、もう全てにおいて嫌な顔をせずね、手助けしてくれた事をね、本当にここでね、本当に心から御礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました」
- 今もずっと、沢山のファンの方が前田さんに声援を送り続けてくれています。最後に今一度、ファンの皆さんに一言よろしくお願い致します。
前田「えーと、チームはね、ここまで非常に苦しい戦いをしていますが、まだまだ、1か月以上残っています。選手はね、ひとつひとつコツコツとね、トレーニング、色んな事をね、みんなトレーニングに励んでやっています。えーひとつひとつ、ひとつの勝ちをファンの方にね、プレゼントする事によってね、本当に申し訳ない気持ちがありますが、まだまだ強い気持ちを持ってね、選手一人一人戦っていきたいと思います。ありがとうございました」
- 今日のヒーローは見事2000本安打を達成されました前田智徳選手でした!



こんなに、自分の事はいいからと云う・・・。

前田の、ゆっくり打席に向かう千両役者の様な歩き方。足場を作ってから、バットを両手で垂直に持って見上げる所作。マウンドに顏を向けてバットを肩に置き、頬を膨らませて「プーッ」と口先で息を吐く所作。テイクバックから、まるで刀の居抜きの様にバットが寸分の無駄なく一閃し球を芯で捉える美しいさまと、打球が一直線で伸びて行くさま。

前田は、強かった赤ヘル戦士最後の現役だった。
チームの中で、ややもすれば孤立してもおかしくない中で、横浜ベイスターズを戦力外となって2008年11月にカープが獲得を発表した石井琢朗がベンチに居た事は、野村新監督となって代打起用され始めた2010年に、大きかったのではないかと推測している。

<2011.6.26 前田・石井琢 二人のヒーローインタビュー>
 ※ 広島-中日戦、3回にプロ初先発の中村が打者の時判定を不服として野村監督が抗議、1塁審を突き飛ばして退場。0-0で迎えた8回裏、梵・栗原が出て2死1・3塁で中日・浅尾から代打前田・石井が連続適時打を放ち2-0で勝利。

- それではまずは前田選手からお話を伺いましょう。又、お立ち台ですね!
前田「ありがとうございます」
- こないだのお立ち台ではとにかく若い選手を見てやって下さいと言ってましたが主役の座は譲りませんね。
前田「この2か月ね、ちょっと若い選手が頑張ってやって来たんでね。今ちょっと、そう1年間、若い選手がまだ頑張る頑張れる気力、体力、技術とまだ備わってないということで一生懸命また盛り返していくという事で、ちょっと停滞気味なんでこれから頑張ってくれると思うんでね、よろしくお願いします」
- 中々点が入りませんでした。あの打席はどんな気持ちでバッターボックスに入りましたか?
前田「いや、もう自分で何とか、一昨日も言ったんですけど自分が何とかしてれば勝った試合が3試合ほどあったんで、ここで取り返したいとね、今日はもう1個取り返して自分の中での借金1にしようかなと思ってました」
- じゃあ5割になるのはもうすぐですね。
前田「そうですね。まあ勝負の世界はそんなに甘く無いんですけど、もう1回何とかチームの力になりたいなと思います」
- 見事な決勝点になりました。そして同じく40才、前田選手に続いてタイムリーヒットを放ちました石井琢朗選手です。ナイスバッティングでした!
石井琢「ありがとうございます」
- 同い年、40才・・・
石井琢「41です、僕の方が1個上」
- ひとつ上なのは知っています。ただ今の段階では40才。前田選手がヒットを打ちました。どんな気持ちでバッターボックスに入りましたか?
石井琢「いやあ去年もそうだったんですけれども、前田選手の後がどんだけ打ちづらい事か、はい。それでもファンの皆さんが前田選手に負けない位の声援を送って頂いたので僕も前田君に続いてというか前田君とファンの皆さんの声援が後押ししてくれたヒットだと思ってます」
- あの1点は本当に大きな1点でした。
石井琢「そうですね。そう思います」
- 今日は試合の途中で監督が退場されてどんな気持ちでベンチの中でゲームを見てましたか?
石井琢「僕はあれは監督が僕たちに残してくれたメッセージだと思ってましたんで、その男気に負けない位って云うか、もう今日のゲームは絶対に負けちゃいけないって云う気持ちで、全員がそういう気持ちで戦ってたと思うんで、ホントに結果的に僕達ね、足して81才の2人がお立ち台に立ってますけど、チーム全員で勝ち取った1勝だと思います」
- これでリーグ戦が再開してから勝ち越しでスタートという事になりました。
石井琢「そうですね。先程前田君も云ってましたけれども、チームも僕ら2人もまだ借金を抱えてる状態なので、ひとつひとつ、コツコツ返して行きたいと思います」
- お二方、最後に今日はですねライトスタンドにピンク色のTシャツを着た女子高校生が500人集まっています。40才のお2人から女子高校生に向けて今後のカープの活躍、まずは前田選手からお願いします。
前田「いや、あのー、女性はこちらのほうにお願いします。はい。女性の扱いは先輩でお願いします(笑)
(横から石井琢「おかしいやろ(笑)」)
- と云うナイスパスが来た石井選手、それでは締め括って頂きましょう、お願いします!
石井琢「あんまり興味がないので。高校生ですよね。て云うと多分そのお父さんとかお母さんと僕、変わらない年だと思うんで今の高校生ってね、それこそ娘と一緒なのでちょっと難しいです」
- 力強い一言をお願いします。
石井琢「・・・。えっ!ちょっ(笑)いやホントに何を云っていいか分かんないんですけど、はい」
- では今後のカープの活躍をぜひですね、最後皆さんに向かって、一言締め括って頂けますでしょうか!
石井琢「そうですね。本当に僕、個人ごとなんですけど、こうして前田君と2人でね、お立ち台に立ててるというのが凄い夢の様でもう思い残す事なく・・・あのー、いつでも現役辞めてもいいかなと思うんですけど、その前に先ずやっぱりカープの優勝を見て、一緒に皆さんと喜びを分かち合ってから辞めたいと思ってますんで、本当に苦しい戦いは続きますけれども何よりもファンの皆さんのこの大声援が僕らの力となりますので、これからもこのマツダスタジアム、マツダスタジアムに限らず名古屋、大阪、横浜、東京、どんどん足を運んでスタンドを真っ赤にして応援してください」



石井琢朗は当時チーム内で唯一、前田を「前田クン」と呼ぶ存在だったものね。
石井琢朗が2012年を最後に引退し、今年の前田は開幕から極めて好調だった。私は、「ああ・・・。昨年の、最後の不調さを覆して、今年、有終の美を飾るつもりなんだな」と思っていた。
しかし両足のケアに加え、初めての「骨折」は、前田を最前線の選手に戻す事は無かったのだ。

私は悩んだ。現地に居たい様な、居て現実と認めたくない様な、複雑な気持ちだった。
言葉に出すと、いずれも何かが違う。
が、酔狂ではあっても、前田の姿を見たい。前田に一言、送りたい。
私は月曜にそう決めて、宿と足を確保した。職場には、木曜午後半休と翌金曜の午前半休を願い出た。


かくして、その時は来た。

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カープロードの、前田。来年ここには無い・・・。
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スロープから球場へ向かう。
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球場に入ると、大きなポスターを貰う。
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裏はこうである。

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着席。見渡す限り、真っ赤である。
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引退記念限定商品は、軒並み売り切れ。
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前田プロデュース弁当も、この日は復帰。
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試合は進んで行き・・

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8回裏2死走者無しでコールされる。「6番小窪に代わり、バッター・前田」地鳴りの様な「前田!前田!」という絶叫のうねり。
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誰しもが、この打席を願っていた。叶うなら、この引退試合では無く、競った場面で現役で・・・。
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意表を突かれた。9回表、守備にもついて。
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この日、ドラゴンズの打者達は懸命にライトへ打ってくれようとしてた。
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9回表が終わり、守備から戻る前田を出迎えるベンチに足が止まる(笑)

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試合が終わって、セレモニーが始まる。
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前田健太は、人目をはばからず泣いていた。まるで子供に戻ったかの様に。
私はここで堪え切れず、涙が出た。
新しい時代のバトンが渡されたようにも感じた。
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球場を一周する前田。可能な限り、フェンス越しに花束をひとつ、ひとつ、受け取りながら。ずっと名を呼ぶだけだった私は、1度だけは云おうとしていた言葉を叫んだ。
「前田!ありがとーう!!」

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溜めて溜めて・・・
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大きく1回!
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球場から湧き起こる「もう1回!もう1回!」という大声援。胴上げのアンコール。

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とても清々しい表情の前田。
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最後にもう1度、ライトスタンドへ走る背中。
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深々と頭を下げ、じっと動かない前田・・・!
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移籍も無く、ずーっとカープに存在してくれた前田。守備での出場が極めて無い中でも、キャッチボールとグラブの手入れは怠らない前田。その最後の姿なんだ・・・!


前田は、長くBクラスに沈んでいた間の、強かったカープの最後の灯火(ともしび)だったんだと思う。
前田が居る。いざとなれば、決めてくれるバッターが居る。百戦錬磨の、冥府魔道をバットの一閃で切り開いて行く武者が居る。それは、どんなにかナインに勇気を与え、私達ファンに希望を与えた事だろうと思う。

同時に、ビジョンに映る前田の清々しい表情に、本当に長い間、怪我を押して痛みに耐え続けて来たのだろうと思った。

カープは、今再び夜明けを目の前にしているのかも知れない。

だから、いまだ湧き起こる様々な感情を押し隠して、云う。


ありがとう。本当に、お疲れ様でした。


<2013.10.3 引退セレモニーでの挨拶>

 24年間、いつも温かい声援を頂き、ありがとうございました。
 故障だらけの野球人生でしたが、球団オーナーをはじめ、監督さん、スタッフの皆さん、裏方の皆さん、皆さんに手助けして頂いて、そして励まして頂き、そして支えられながら、ここまで乗り切ってくる事が出来ました。
 この広島で、そして広島東洋カープで、一途に野球ができた事を誇りに思います。
 そしてどんなときも支えてくれた両親と家族に、本当にありがとうと言いたいです。

 カープは16年ぶりにAクラスに入る事が出来ました。
 監督さんをはじめ、コーチの方、裏方さんが力を合わせて、若い選手を、そしてベテランを上手く指導して、ここまで来れたと思います。
 自分がこの中に居ないというのは、非常に悔しいですが、この節目を、これから強いカープとなって、未来のカープが明るい事を願って、今日をもって引退します。

 そして高木監督をはじめドラゴンズの皆さん、今日はありがとうございました。
 ドラゴンズの来年の巻き返しと、チームのドラゴンズらしい野球を期待しています。

 最後にもう一度、今日迄応援してくれたファンの皆さん、そして今日迄支えてくれた全ての方に感謝致します。
 長い間、本当に、ありがとうございました。



p.s. 前田の、最後の号外。
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p.s.2 前田応援歌
(旧)
 走攻守三拍子 揃ったいかした男
 もう爆発寸前なのさ前田のパワー
(新)
 狙い絞って振り抜け 速く鋭い打球を
 飛ばせ明日へ未来へ 輝け前田


【“前田智徳と云う灯火(ともしび)”の続きを読む】

2013.10.06 | | Comments(0) | Trackback(0) | 日 記

中島みゆきのオールナイトニッポン

ようつべを探したら中島みゆきのオールナイトニッポンの最終回、あった。投書をくれたリスナーの名前を沢山読み上げて、それから最後に記憶に残る短い話をした。

「中島みゆきは今夜でDJを休退します。(中略)幸せという字は辛いと云う字の上に付いてるチョッピリの点を十と云う字に変えると幸せになるンです。十分辛くて、初めて人は、幸せになるンです。挫けないで頑張って下さい。じゃあ、今から数えて10秒後に、アタシは音楽に、走ります。10、9、8、7、6、5、4、3、2、1…こんばんは。中島みゆきです。」

そう云い終わると、「白鳥の歌が聴こえる」が流れて、終わった。「やさしさだけしかあげられるものがない、こんな最後の夜というのに」、という歌で。
「十分辛くて、初めて人は、幸せになる」そう聴いても20そこそこの当時の私にはしっくり心に来なくて、けど何だろうなとぼんやり違和感として記憶の片隅にあった。
「識る」ではなく、「知る」。思い知る、と云った方が良いか。それは30代になってからだった。当時中島みゆきは35才。想像でしか無いけど、何かを変えたかったのかなぁと思った。

2013.04.23 | | Comments(0) | Trackback(0) | 日 記

春・道々にて

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花壇にも春。

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艶やかな、色合い。いいね。

2013.04.14 | | Comments(0) | Trackback(0) | 日 記

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